クレイジーピンクの育て方

世界の中心で、沼に落ちた

今あなたに出逢えたこと、ほんと感謝してるよ〜新規コンプレックスが推しに救われた話〜

どうも、かほです!Twitterは@pinksugar1103です。お久し振りです。

 

ボ界隈ではてブが大流行しており、私も波に乗りたかったんですが、心のあまのじゃくが牙を向いて更新を怠っていました。誰も興味ないと思うけど、ストレスで吐血して1週間断食という悲惨なプライベートでした。放置している間にユニバ、トークショー、推しワ、リリイベがあったのでそちらはまた別で更新したいと思います。

 

今日は新規コンプレックスが推しの言葉に救われる話です。

祖母も母親もミーハーなオタクだったので、幼稚園の頃からオタクの英才教育を受けてきました。今まで好きになる人、経験してきた沼はデビュー当時から応援していることがほとんど。ジャニの某グループはデビューの4年前から好きだったりして、大抵ブレイク前からオタクだったことが多いです。通っていた学校の中でも自分が1番最初にファンを始めたから「古参」を振りかざしていたし、田舎の狭い世界の中で「○○のことなら私におまかせ」みたいな顔してました(中二病こじらせてる)。デビューシングルからCDが1枚1枚増えることに喜びを感じるオタクライフでした。

 

しかしA.B.C-Zを好きになった2013年のこと。A.B.C-ZはすでにDVDデビューしており、結成からは数年経っていて、「Jrから10年応援してます」的な人には足元にも及ばないことが分かりました。知らない曲や行ったことのない公演多数、エピソードや歴史が分からない。「過去の作品を買って勉強する」という経験を初めてやりました。知らなくて当然、歴が古いファンに色々と教えてもらって当たり前だった私も、塚ちゃんがプチブレイクしてファンが増えた辺りから周りに教えたり布教する立場に回ったような気がします。A.B.C-Zの場合、過去の作品は余裕で集められる範囲でしたし、全国ツアーも2回目からは参加出来ました。

 

BOYS AND MENことボイメンは「白鳥麗子でございます!」で本格的に知りました。2016年1月のことです。小さい頃に読んだ白鳥麗子の原作ファンだったのでドラマも楽しみにしていたし、何より主題歌のWanna be!にどハマりして、その年にジャニ以外で唯一買ったCDになりました。音楽プレイヤー再生数も断トツ1位でした。

その頃は熊本に住んでいたので、イベントに行くなら遠征するしかありませんでした。オタクな母親は既に亡くなっており、めちゃくちゃ厳しい父親の監視下にあり、門限17時という中学生もびっくりの生活をしていました。そして退院したばっかりで、年数回の遠征がやっとでした。なのでボイメンは「九州に来たら行きたいなぁ」ぐらいの気持ちでした。公式サイトを見ると東名阪のイベント中心。ツーショット撮影会という、ジャニヲタは目玉飛び出て火傷するようなイベントをやっていましたが、入院生活で今より20kg太っていた私は「まさるんの隣に並べないよ〜!」とブヒブヒ言ってました(忘れ去られがちだけど水野推しでした)

 

2016年5月、そんな私にチャンスは巡ってくるのです。ボイメンが博多どんたくに来ます(どんたくは福岡で超有名なお祭りです)。熊本震災で避難所生活から実家に戻ったばっかりでしたが、博多どんたく前日はA.B.C-Z戸塚くんの舞台の為、ちょうど福岡に行く予定でした。行ける!まさるんを生で見れる!と、初ボイメン初どんたくに心を躍らせていました。しかし当日、異常気象の強風で色々怖くなってしまった私。震災の2週間後だったので普段よりも気弱になっていました。真っ直ぐに歩けないほどの風、狂う交通機関、どんたくという何万人も集うお祭りにぼっちで行く勇気もポッキリ折れて、途中で断念して新幹線で帰ってしまいました。

 

その1ヵ月後に大阪に引っ越すんですが、生きて行くことに必死でヲタ活は二の次になっており、2017年4月に白鳥麗子が再放送されるまではボイメン事はお休みしていました。その間に私は20kgやせて、ボイメンはユニバーサルミュージックと正式契約してメジャーデビューし、キスマイとオリコン対決をしています。両方好きな私としては複雑な気持ちで見ていましたが、超大手無敵のジャニーズに僅差で食らい付くボイメンは本当に格好良かったです。レコ大新人賞を獲ったり、武道館単独ライブをしたり、めちゃイケに出演したり、目まぐるしい活躍を知ってはいたんですが、関西でのイベントがことごとく別沼の現場と被っていたのでチャンスを逃してばっかりでした。

そんなニアミスが続く中で、本田剛文という人間に出会って2017年7月に初現場へ赴く運びとなります。その日は夏フェスに行く予定だったんですが、「本田くんに会いたい!」という想いが勝って西宮ガーデンズでようやく現場デビューしました。でも、とにかくコンプレックスがすごくって。現場では自分より若い子ばかり目に付くし(オタクは25歳過ぎたらババアと呼ばれる)、それまでの活動の1割も知らないから何も分からない。DVDは把握出来ないぐらいにたくさん出てる。「接触」と呼ばれる本人達と会話出来る特典会ありきのイベントが中心なので、お金がかかってしまう。過去のDVDを買うよりも、現場で特典券の付いたCDに使う。DVDを買ったからと言って、過去に戻れるわけではないし、「この時に知っていたら」と想像することしか出来ない。

 

出来ることなら、NDPスタジオでミュージカルをしていた時代に知っていたかった。マコライで集客が100人超えた時の本田くんの涙を見たかったし、解散がかかったテレビ塔ライブにも駆け付けたかった。2011年まで元カレが名古屋に住んでいて、白川公園でボイメンが練習しているところに遭遇しているんですよね。その時、田村さんに声を掛けられましたがあまり気に留めていませんでした。平成仮面ライダーはドライブから見ているので、一個前の鎧武スタートだったらゆーちゃむにハマっていただろうなと思います。私は、ある程度レールが敷かれた状態のボイメンしか知らないから、NINJAとWanna be!で連続ウィークリー1位を獲得してメンバー全員が号泣したこともリアルタイムで見ていません。自分の性格上、泥水をすすっていた頃から一緒に進んで行きたいタイプだから、ボイメンの苦労を過去の話でしか知れないことがとても悔しいです。

 

あの時、田村さんの話をきちんと聞いてNDPスタジオに足を運んでいれば。

博多どんたくに行っていれば。

鎧武を見ていれば。

親がヲタ活に協力的だったら。

イベントが別沼と被ってなかったら。

 

もっと色んなものを共有して、大好きなWanna be!衣装とたくさん写真撮れて、ナゴヤドームに対する心意気も違ったのに。きっと大阪じゃなくて名古屋に引っ越して、勝ち組のようなヲタ活をしていたのに。2011年だったら今よりずっと若いし、年齢を気にすることなんてなかった。私が現場に行き始めた帆を上げろ!からは特典会が握手になったし、10秒握手が導入されたし、勿体ないことをしたなと思っています。

 

しかし本田くんは言いました。

「途中からファンになった人は『もっと前に知ってれば良かった!』って思うかもしれんけど、俺らが活動して行く限り、この先の方が長い。これから続く未来のことを考えて欲しい。『どこまで一緒に歩いてきてくれるか』が今のボイメンにとって大切。もしもっと前に出会っていたら好きになってないかもしれない。好きになった時が最適なタイミングだったんだよ」と(マコライとラジオの言葉です)。

古くから応援している人も、途中から好きになった人も、大事にしている言葉に心を打たれました。そうだよな、タイミングってあるよねと。確かに私が田村さんの言う通りNDPスタジオに行ったとして、ファンになったかどうかは分からない。博多どんたくに行ったとしても、それは勝くん目当てだったから水野推しとして歩いていたと思う。もしかしたらそっちの人生が魅力的だったかもしれないけど、それは想像でしかない。

私は本田推しとしての生き方・見方しか知らないけど、彼は頭が下がるほどに良く出来た人で。真面目でズルしないし、いつ見ても、ソロパートじゃなくても頭からつま先までシャカリキでキラキラしていて、たまに不器用な発言もあるけれど、BOYS AND MENの本田剛文という表現者に出逢えたことが自分の中では革命でした。20代前半の子に比べたら年上の私だけど、本田くんはいつもニコニコしててタメ口で優しく喋ってくれる。挙動不審で未だに特典会では吐きそうなんですが、そんな私から笑顔を引き出してくれる本田くん。この前、「おばちゃんでごめんね」って申し訳なさそうに言ったら、「そんなことないでしょ」と食い気味に返してくれました。「年上だもん!」「女は若い方がいいじゃん」とひねくれたら、「そんなことない!俺は全然気にしないし、年齢は年輪だから(←え?)」と言ってくれました。そんなんリップサービスと言われたらそれまでだし、「よっ、アラサー!」なんてマジレス言うわけにもいかないとは思うけど、私は嬉しかったです。ガチの人生・恋愛相談したり、様々な媒体やライブの感想を伝えたり、たま〜にビビりながらリアコなこと聞いたりして楽しいです。ジャニには「接触」がないので、感謝や感想、近況を直接伝える術がなく、推しからレスポンスが返ってくることが奇跡のように感じます。「ありがとう」の一言でも、例えテンプレかもしれないけど、自分の為だけに存在する「ありがとう」は重みが違います。

 

関西の現場メインで、せいぜい握手会で上限行く程の弱小オタクなんだけど、初めて会った時から認知してくれたみたいで…。信じられないことなんだけどね。もし私がもっと違うタイミングで、違う人を推していたら初めてで認知してくれただろうか?と疑問です(身長以外に個性ないので)。

あくまで本田推しとして1年半歩いてきた印象なので、他推しだったら、歴が長かったら、また違う幸せをもらったと思います。あの日、夏フェスを蹴って西宮ガーデンズで本田くんと握手してから私の生活は一変して、たくさんの幸せをもらいました。数え切れない言葉をもらって、辛い毎日をどうにか生きています。ボイメンが居なかったらどうなっていたか分かりません。1回現場で病んだことはあるけど、ドルヲタが病んだ時に行く場所は現場であり、アイドルで病んだ心をアイドルで癒すという特殊な治療法を確立しているんですよね。病むと言っても本田くんに対する不満は一切なくて、自分自身の問題なので本田くんと喋って解決されちゃう。単純で複雑な脳みそをしています。(捉え方には個人差があるので、いち本田推しの思考です。ご了承ください)。

 

違うタイミングで好きになってたらブログ開設しなかったかもしれないし、多分してない。私の大事なフォロワーさん、仲良しさんはほとんどがブログ開設きっかけで出会ったので、もしブログを始めてなかったら今の付き合いもきっと無かった。大事な仲間に出逢えたのもタイミングだと思います。皆さんありがとうございます。

 

「好きになった時が最適なタイミング」と言ってくれた推しのことを信じて、この先もボイメンを応援していられたら素敵だなと思います。ナゴヤドームまであと3週間切りましたね。何年も前から応援している人達とは、楽しみ方は違うと思いますがお手柔らかによろしくお願いします。今あなたに出逢えたこと、ほんとに感謝してるよ!

 

次回、「Wanna be!について1万字語る〜君だけの王子様に執着し続けるオタク〜」を更新予定。