クレイジーピンクの育て方

世界の中心で、沼に落ちた

明日、私はナゴヤドームへ行きます〜オタク不適合者の夢〜

ナゴヤドームまであと1日!!皆さん、今頃準備にお忙しいのではありませんか?それとも遠征組の方はまえのめり前乗りてぃですか?

 

ここで何回か書かせてもらってるんですけど、私はオタク不適合者として生まれ落ちました。やけに大袈裟な表現だなとお思いでしょうが、実際そうです。若くしてオタクをやるには親、環境、住んでいる地域でカーストが決まると思うのですが、私の場合はオタクに不向きな星の元に名を受けたのです。そんなカースト最下位の私、そして明日のナゴヤドームの話。

 

熊本に生まれ、厳しい家庭で育ちました。まずテレビが禁止。もうオタク不適合。しかしオタク気質の優しい母親がこっそり夕方にテレビを見せてくれたんです。幼稚園に入る前だったと記憶していますが、初めてハマったのは特撮ヒーローの中の人(俳優さん)でした。俳優さんに恋焦がれ、ブラウン管の中にどうやったら入れるのか日々考えていました。母親の粋な計らいでファンレターを出すことになり、直筆サイン入りの返事が来たりしましたが、本人に会うことは叶いませんでした。

テレビ禁止、外出禁止、ゲーム禁止、誕生日もクリスマスもプレゼント無し、お小遣いもお年玉も特に無し。アニメもドラマも分からない、見たことがない。こんな家庭環境でどうやってオタクになれるの?って感じなんですけど、ジャニーズを好きになれたのは年の離れた兄が、「可哀想だから妹達にドラマを見せてやってくれ」と父親に頼み込んだからです。それで某人気ドラマを見て沼落ちして、亡くなった祖母の部屋とテレビを手に入れて、中学時代からはアルバイトをしてビデオデッキとCDプレイヤーを買うという…。若い時に沼落ちしたら「親がどれだけ寛容か」「協力してくれる人は居るのか」でヲタ活スタイルが決まると思うんですが、完全にオタクにならないように仕向けられた環境でした。

 

こういう生活をしていると「全国ツアーがあって九州に来てくれたら色んな手を使って行く」ことは可能でした。兄とか母親とか親戚を使って、父親に頭下げたらOKだったので。しかし「初めてドームやります!」「一夜限りの夢舞台!」「待望の単独ライブ!」みたいな単発イベントってほぼ東京なんですよね。バイト代で九州のライブに遠征するのがやっとなのに、東京はさすがに無理でした。バイト代の半分は家に入れてましたし、泊まりがNGだし、成人するまでは隣県の福岡すら一人で行くのはダメでした。だからお知らせが来た瞬間に「はーい、お疲れ様でぇす!(CVオリラジ藤森)」ってなってたし、それに向けたプロモーション活動や宣伝は右から左へ受け流すだけの単純作業。中学時代にSNSがなかったのでまだ死なずには済みましたが、もしあの時期にSNSが存在して、同世代のフォロワーが「パパのOK貰ったから泊まりで東京行くね☆」なんて言ってきたら悔しくて切腹していたかと思います。

 

じゃあどうするか。答えは一つ。「指くわえて我慢」すること。「いいなー行きたかったなー」ってじたばたしながら、後日ファンクラブや雑誌に上がってくるライブレポートを目に焼き付け、DVD発売までひたすら待つ。このライブに行けたらどれだけ良かっただろうか。人生変われたんじゃないのかと唇を噛みながら…。我慢することが当たり前になっていたので、単発イベントは自分には関係のないものとして過ごしてきました。

 

しかし高校時代になるとパソコンを手にして、ネットも普及しました。今までは知ることの出来なかった「他のオタクの様子」を簡単に仕入れることが出来ます。自分が行けないライブのセトリがどうであれ関係ないんですけど、調べたら出てきます。見なきゃいいのに見ちゃいます。「泣いた」「最高だった」「このライブに行けて幸せだった」という感想の羅列を、死んだ魚の目で追うことになります。今やボイメン1本の私ですが、当時はジャニ、バンド、アーティスト、芸人、沼を複数持っていた為、年に何回か自害したくなる瞬間が来るわけです。この時期からオタクの友達が出来始めるんですが、東名阪住みがほとんど、地方でも親が援助してくれてる子達だったので自分との差が如実に現れて、泣きたくなる日もありました。友達が出来るってうれしいたのしいだいすき!なんだけど、自分がいかにカースト下位なのかを知ることにもなりました。

 

「オタクが体験すべき決定的瞬間」

 

そこに立ち会えないオタクなんて非国民気分です。何の為に生きてるのか?もはや私はオタクなのか?大好きなバンドマンが亡くなって、その献花にすら行けないで何をやってるんだろう?働いても働いても、父親に給料吸い取られるだけだし、優しくて味方だった母親は亡くなるし、この環境でオタク続けるって本当に好きな気持ちがないと無理だと思うんですよね。よくもここまで腐らずにオタクやって来たなと思います。だいぶひねくれてますけど、そりゃこんな環境に生まれたらひねくれるよ、許してくれ。

 

そんな私に転機が訪れます。実家と縁を切る。ということで新生活をするなら都会がいいと思い、友達の勧めで大阪へ引っ越してきました。まず大阪へ来てから、某ジャニの京セラドーム公演が決まりました。まさに「一夜限りの夢の祭典!」と銘打って。ほとんど担降りしていたのですが、ジュニア時代から見てきたグループなので行きたくなりました。熊本時代は単発イベントを全て諦めていた私が「行ってみようかな」というポテチ感覚で参加出来てしまいました。やはり夢の舞台とあってか、メンバーは涙目だったし、私もグッとくるものがありました。そしてセトリ、演出ともに文句の付けようがなくて。ハマるきっかけの曲や大好きな曲、レア曲、あの日しか聴けないであろうラインナップでした。今でも「ベストオブライブ」の上位に食い込みます。やはり、夢の舞台には紙面やテレビ画面越しには伝わらない、その日だけの感動とエモーショナルとパワーがあるんだなと初めて実感しました。

 

 

2019年、1月14日。

BOYS AND MENは結成当初から憧れていたナゴヤドームの舞台に立ちます。

 

私はこの告知を県体ライブで知りました。「ようやく皆さんにお知らせ出来ます!」と勝くんは嬉しそうに言いましたが、「やったよ!!」「おめでとう!!」という単純な感情もありつつ、少し複雑な想いがあったように察しました。それは私も同じです。去年2月はまだボイメンを推し始めて7ヶ月目。急に「ナゴヤドーム単独ライブ」と発表されても、戸惑いの方が大きかったです。正直、ボイメンにとってナゴヤドームでライブするということがどういうことなのか、良く分かりませんでした。ガイシホールや武道館決定のサプライズ発表で、メンバー号泣、ファンは悲鳴という映像を見ていましたが、ナゴヤドームはあまりにあっさり発表したので実感が掴めなかったんです。そして個人的な話になりますが今年の春、環境がガラッと変わるために冬からは準備期間に入ります。繁忙期で三連休最終日に休みが取りづらい問題もありました。節約はもちろん、現場もしばらく行けないなと前々から覚悟していました。だからナゴヤドーム(略してナゴド)には行かない判断をしていました。いつものように我慢出来るだろう、と。

 

去年の夏でした。古参の方がナゴドに向けて書いたブログを目にしました。そこには結成当初、売れなかった時代の彼らのイベントのレポが書いてありました。あまり良い話ではありません。東海では有名な今では考えられない経験をしてきた彼ら達、それを見てきたファン。そのブログを読んだ時に、「ドン底を経験した彼らがドームのステージに立つ姿が見たいな」と思いました。私は彼らの歴史にほんのちょこっとしか関われていないけど、ナゴドはきっと晴れ舞台なんだなと。行きたい、とは思っても、もうチケット先行発売終わっている。それに1月は無理だな…と1回蓋をしました。

 

ナゴドまで残り100日になった時。メンバーはカウントダウンを急に始めて、「裸一貫大勝負!」とチラシが作成されました。そして「ナゴヤドームキャラバン隊」というものが発足。どうやらチケットを手売りして回るらしい。手売り…?手売りしないと席が埋まらない現実を突き付けられることになります。ここから本田くんがこまめにインスタライブをするようになりました。「とにかくナゴヤドーム来てください!俺達の大勝負なんで!」と毎回宣伝する本田くん。そっか、ドーム公演って簡単なことじゃないんだ。アーティストにとって初めてのドーム公演が「特別」なことは知っていたけど、心のどこかで「私が行かなくても大丈夫だろう」と思っていましたが、プロモーションに負けてしまい、推しグループが夢の舞台に立つ瞬間を見てみたい!と思うようになりました。

 

そういう風に思っていても状況は変わらなくて、私はまた諦める選択をするのか?と悶々としていました。結局、実家を出ても特別な瞬間に立ち会えないんだな。私は何も変わらないんだな、とぶーたれていました。そんな11月、冬の出費が抑えられるラッキーなハプニングが起こります。ちょうどチケット代と交通費と滞在費が浮く。あれ?これ行けちゃうんじゃね?と。「スタンド指定席の手売り買うか?でもせっかくだからアリーナ入りたい」と思っていたら、仲良しの子が「アリーナが1枚余りそう」と困っていました。「もし余るなら私に譲って!」とお願いして、11月末お譲りが決定しました。仕事もビビりながら休み希望を伝えたら、「前後でしっかり調整してくれたらいいよ」と言われ、私はナゴヤドーム行きの権利を手にしたのです。全ての歯車がナゴドへ向けて動いたんです。

 

こんな風に書くと、年齢や家庭の事情で行けない人達がモヤモヤするかもしれません。だけど、「どんな形であれ夢は必ず叶う」と「ソノサキ」で有名なホストのローランドが言っていました。例え今は行けなくても、いつか行ける日は来るはずです。私だってずーっと今まで我慢し続けて、やっと行ける日が来そうです。何年経っても、諦めなければ、好きな人達の晴れ舞台を経験することが出来ると身をもって呈します。いちオタクが偉そうに語りますが、「いつか」という日は最高に特別な日になると思います。私は小さい頃から思い描いていた、「いつか特別なライブに行きたい」という夢が明日に迫っています。今まで我慢してきた、諦めた舞台への想いを晴らしてきます。

 

BOYS AND MENは夢を1つ叶えます。

そして私も、夢を叶えます。

明日、私はナゴヤドームへ行きます。