クレイジーピンクの育て方

世界の中心で、沼に落ちた

BOYS AND MENが9人になった日〜田中俊介脱退に於いて〜

かほです。Twitterは(@pinksugar1103)です。この記事を書く日が来るとは思いませんでした。

 

恐れていたことが起きた。感情がぐちゃぐちゃである。感情に任せたこのブログにより、誰かを傷付けるかもしれないし、イライラさせるかもしれない、間違っているかもしれない。だけど私はブログを書かずには居られなかった。いつも通り語彙力ありません。

 

2019年11月30日で、BOYS AND MENから田中俊介が脱退するという知らせが入った。

本日12月1日からBOYS AND MENは9人、「ボイメンの俊くん」はもう存在しない。

「ボイメンの俊くん」は「過去」なのだ、今日も明日も現在や未来には存在しない。

 

私は田中推しではない。本田推しである。ボイメンもグループで言うなら誠推し。語る資格などない。だがボイメンを好きになってもうすぐ4年、初めて現場に行ってから3年目、オタク人生の中で本当に濃密な時間を過ごし、「ボイメンの俊くん」に関わってきた。新規で歴も浅く、誠推してるくせに語るなよって意見は分かってる。だけど黙ってはいられなかった。

 

そもそもボイメンは11人だという意見もあれば、13人、はたまた100人だったよ!という意見もあるだろう。私が彼らをWanna be!で知って好きになった時は11人だった。PVは11人なのに、プロモーションは10人で、気付いたら1人脱退していた。だから私の中ではボイメンは10人の感覚だ。古参に怒られるかもしれないけど、10人のボイメンを見てきた。

 

私の知ってる俊くんは頼れる兄貴分で、真っ直ぐでファン思いで笑顔が特徴的な面白いお兄ちゃんだ。握手に2回行かせてもらったが(少なくて申し訳ないが私は推し以外にめったに行かない)、声がセクシーで意外とノリが良くて、スクールカースト上位の男だった。ボイメンのヤンキーコンセプトにはかかせない人物。彼には絶対的信頼があった。ボイメンを、ファンを、誰より愛してるだろうと。

 

様子がおかしいな、と思い始めたのは去年の今頃に行われたボイメンワールド。俊くんが泣いていた、特典会でほとんど喋れなかった、というレポを見た。ナゴヤドームを間近に控えた時期だったので、色々思うところがあるのかな〜なんて軽く考えていた。しかし「最近、特典会であまり元気がない」という意見をちらほら見かけた。そして12月9日のリリイベで確信する。俊くんがMCで一言も喋らず、笑顔もなく、なんか雰囲気が違うぞ?と思った。フードコートでフォロワーと喋っていると、特典会終わりのメンバーが目の前を通って行ったが、俊くんの目付きは切羽詰まったものだった。絶対におかしい。翌週もリリイベだったが、俊くんはやはり喋らず、その日を境に毎日更新していたブログがピタッと止まり、年末のイベント欠席のお知らせがあった。その時すでにベストアルバムが発売されて、自己紹介ソングが新しくなり、俊くんには「毎日ブログー!」というフレーズがあったので、「毎日ブログ書いてないけど大丈夫?」みたいな心配をしていた。ナゴヤドーム、センステの2列目という良席から俊くんを見ていたが(立ち位置が目の前なことが多かった)、泣き方が他のメンバーと違ったように見えた。笑顔も少なく、発言もなく、パフォーマンスもこなすのがギリギリで、メンバー全員が同じ方向を見ていないのではないか?と新規ながらに思っていた。武道館のあの感動の金銀はどこへ?と。ナゴヤドームが、10人のボイメン、そして俊くんを見た最後になってしまった。こんなこと書きたくなかったけど。

 

そこからイベントを休む日が続き、ユニバの撮影会で明らかに顔色と表情が普段と違い、映画のプロモーションも辛そうで、これはダメだと不安になっていたら、公式から一部活動休止を発表。体調不良ということだったが、演技やソロ番組は継続するという。未熟な私は「ボイメンの俊くん」が好きだから、そこから離れることに寂しさを感じて、「演技の仕事は出来るのにどうして?」という心境だった。今思えば、それが事務所の配慮、本人がまだ「ボイメン」で居るための救済措置だったのかもしれない。「絶対に帰ってくる」という信頼と希望と期待があったので、「ボイメンはどうするの?」と焦っていた。オタクは所詮オタクだから、アイドルの顔と名前しか知らない。確かなものはそれだけ。誕生日さえも偽ってるかもしれない。今見せてもらってるものは全て嘘かもしれない。だけどそれしか知らないから、それを信じるしかないし、信じられないなら好き勝手言う生き物。田中推しにとっては非常に長い時間だったので、他界する人、別沼に流れる人、信じて待つ人、俊くんの舞台挨拶に足を運ぶ人、様々だった。

 

令和になり、メンバーがTwitterを始めた頃からだった。ちょくちょくメンバーが俊くんにリプを送ったり、映画祭についてリアクションしていたけど、当の本人からの返事はなかった。特につじちゃんは積極的に絡んでいたイメージ。メンバーが映画祭に行ったりしていた。なのに俊くんとの写真はアップされなかった。メンバーなのに?何で?活動休止であってもグループでしょ?と寂しく思っていた。俊くんが演技の世界にのめり込み、そちらの関わりを大事にしているのが分かって、気付いてしまった。もうボイメンには戻らない、戻れなくなっていることに。いつまで待っていても、俊くんとメンバーの間はどんどん離れて行くし、「BOYS AND MENの田中俊介です」と名乗ること自体が彼にとっては負担なのではないかと。人間の脳みそって残酷で、9人であること、Yankee5が4人であることに慣れてしまった。あんなに違和感あったのに。俊くんはもう帰ってこない。公式から「ファンの皆様へ大切なお知らせ」がいつ届くのかビクビクしていた。

 

でも9人は「次は10人で!」とか「うちにはもう一人田中俊介ってのが居るんですけど〜」とか、俊くんはあくまで「欠席」という扱いをしていた。その言葉に救われていた。裏側なんて知らないから。本田くんは特に言っていた。ホールツアー大阪で、豊さんが「今日は9人だけど、アリーナツアーは絶対に10人でね」と言ったので、アリーナツアーには間に合うのかな、なんて考えていた。その間にも俊くんは病院に通ったり、今後について話し合ったり、していたはずだ。もう無理だって分かった瞬間もあるはずだ。なのに「ボイメンは10人」だと言ってくれてるし、俊くんも舞台挨拶で「BOYS AND MENの田中俊介です」と挨拶しているレポを見て、僅かな可能性を感じていた。しかしその一瞬の言葉しか信じられるものはなかったので、常に諦めモードだったことは確かだ。公式からの田中俊介に関するお知らせ、本人のツイート、何一つボイメンとは結び付かない状況にため息が出た。また違う、これも違う、どんどんどんどんボイメンから離れて行く。信じられるものがなかったのに、心のどこかで待っていた。

 

そして11月30日。ブログの通知が来て、「ファンの皆様、関係者の皆様へ」というタイトルが見えた。あ、ついに来た。やっぱりダメだった。1回スマホを閉じて、恐る恐る画面を見た。今日付けでグループを脱退、事務所を辞める。そう書いてあった。分かっていた。分かっていたけど、現実になるとかなり衝撃的だった。ボイメンの俊くんが居なくなる、あと数時間で。ぐちゃぐちゃになった私は「戻ってきて欲しかった」というツイートをした。俊くんに対する最初で最後のワガママだった。辛かった。ボイメンが9人?いや、そんなの違うよ。この1年弱、ずっと9人の姿を見て、うっすら俊くんを思い描いていた。きっとまた10人になる。出会った頃のボイメンになる。甘かった。そんな気持ちだけじゃ、何も変わらなかった。

 

散々落ち込んでたら、メンバーのブログが続々更新され、ネットニュースになり、「あ〜これが脱退の雰囲気か」とやさぐれた。私は人生のほとんどをオタクとして過ごしてるが、応援してるグループの脱退はあまり経験したことなかった。活動期間が限られるアイドルにとって脱退や卒業は避けられない問題で、私の元推しグループも脱退や解散があった。もう、10年前になる。大好きだったフジファブリックのボーカルである志村正彦がクリスマスイブに急死した。それは脱退とはまた違うので、こういう体験は初めてに近かった。推しグループが変わってしまう。TLはお通夜モード、メンバーのブログを読んでいたらじわじわと現実が肌に馴染んでくる、怖い。

 

俊くんの言葉をもう一度しっかり読んでみた。「適応障害」と書いてあった。精神的な病気だ。私は精神的な病気とは切っても切れない世界で生きてきた。友達を失ったこともある、1回だけじゃない。俊くんみたいな頼れる兄貴分でスクールカースト上位でも精神を病んでしまうの?と本当にびっくりした。ここからは病気について触れるので、嫌な人は飛ばしてください。適応障害うつ病とはまた違う。人それぞれ症状があるから一概には言えないが辛い病気だ。楽な病気なんて無いけどね。特定の場面、環境、何かしらのストレスに耐えられずに、精神のバランスを崩してしまう病気。ストレスの原因と離れると気持ちが楽になるが、トラウマのようになってしまう場合もある。精神的な病気は治療薬はきちんとあるけれども、先の見えない闘いになる。私は小さい頃から繊細で病みやすかったけど、とんでもない環境で生きてきたからダメージを食らい過ぎて、出口の見えない暗いトンネルを「ヲタ活」という休憩所を生きがいにして歩いてる。見た目には健康な人間と変わりはないし、それを理由に仕事を辞めるなんて出来ない世の中だし、明日も生きていかなきゃならない。実家を家出して、大阪に引っ越してからは劇的に変わった私だったが、今年の夏にある人から「ねぇ、もっと明るいところに出ておいでよ!いつまでそこに居るの?変わらなきゃダメだよ!私が正してあげる!」という風に急かされた。「もっと!もっと!」との要望と期待が苦しかった。「トンネルの出口と、出方、教えてあげるからついておいでよ!私はあなたの味方だよ!」と手を引っ張られたけど、途中で「ごめんなさい」と頭を下げた。そこまで速く走れないないから。私は一生懸命歩いていて、それなりに幸せだったのに、心がポキッと折れた。トンネルが真っ暗になった。休憩所でもなかなか満たされなかった。気付いたら季節は秋も終わり。このままでは死んでしまうと思って、めちゃくちゃ無理をして11月17日、三重のリリイベに行った。本田くんからしばらく生きれるぐらいの嬉しい言葉をもらったので、本当に来て良かった、生きていて良かったと心の底から思えたし、気持ちが明るくなった。だけど俊くんはまだ苦しんでる最中なのかと思うと、本当に本当に胸が痛い。そんな中で演技の仕事が俊くんを支えてくれてるなら、応援しなきゃなと思えてきた。

 

ラジオの大喜利コーナー、ボイギリ部で最初にベストをくれたのが俊くんだった。それまで1番になんてなったことなかったから、めちゃくちゃ嬉しかった。自分が面白いとも思ってないけど、認められた瞬間だった。すごく自信が付いた。俊くんの声、好きだったなぁ。甘くてセクシーだけど、歌うと可愛くて。接触の時はキャーキャー騒いでた。俊くんは私の真似しながらガハハハハ!って笑ってくれた。笑いのセンスは1番好きだったかも。MCやコントも俊くんのこと良く見ていた。UFOのツーショ、撮りたかったな。ナゴヤドームのDVD見て、やっぱりYankee5の5人って圧倒的カリスマだって再確認して、ヤンライ行きたいなって思ってたとこだった。もう叶わないけど。薄っぺらい思い出に聞こえるかもしれないし、実際に薄っぺらいんだろうけど、私の人生を変えるほどの運命的で大切な時間の中で、ボイメンの俊くんは確実に存在していたんだ。

 

一睡もしないまま休日出勤し、午前中で上がり、帰り道でTwitterを見ていた。すると武道館で勝くんが泣いた名シーンがTLに出てきて、思わず顔を抑えた。家に帰ると涙が溢れてきて、自然と武道館のDVDを再生した。俊くんはとびきりの笑顔だった。ライブの終盤、We never〜の曲中に俊くんが喋る場面があるのだが彼はこう言う。「今日は集まってくれてありがとう。この会場に連れてきてくれたのは、社長、スタッフさん、ファンのみんな!そしてこんなにめんどくせぇ俺らをずっとずっと支えてくれた…お前だよ!勝!お前のお陰だよ。いつもありがとう」と。勝くんは涙腺が崩壊したように泣き、他のメンバーもファンも感動するシーン。ここが好きで今までも何回も再生した。イントロが始まった瞬間に涙が出てきて、肝心のシーンでは肩を震わせて、子供のようにわんわん泣いていた。そうだ、俊くんはこういう男だ。憎い男だ。ボイメンには絶対必要だった、個人的にはそう思っていた。私は10人が好きで好きで、俊くんが変わってしまってからもまた10人に戻ることを信じていて、なんやかんや言いながらも「おかえりー!!」と迎える準備はしていた。例え可能性が低くても、俊くんがボイメンから離れて行くのが如実に分かってしまっても、トクサツガガガのやまぽん復活ライブみたいな日がいつか来る。その時に嬉し涙を流すはずだって夢物語を描いていた。だけど、今流してるのは悔し涙で、抱いてる感情は喪失感で、もうこの10人は現実には居ない。二度と見れない。そこからナゴヤドームのDVDを見て、同じくWe never〜を再生したが、俊くんは立ってるのもやっとという感じだった。それでも必死にボイメンをやっていた。不思議と涙は止まっていた。

 

私のような、大阪の端くれに住む一人のオタクが、一般人に擬態して生きて行くことすら困難だ。世間は厳しく、難しい。それなのに、BOYS AND MENという名古屋を背負って立つグループの兄貴分、元気や熱血、ヤンキーをコンセプトにしたスタイル。精神を病んでしまった彼にとって、どれだけ辛かっただろうか。計り知れない。適応障害と診断された去年の12月はナゴヤドームの稽古中だった。あのステージに立ってくれたことが本当にすごいと思う。2018年のボイメンはナゴヤドームに向けた活動が多かった。「出来ません、休みます」なんて言えないよね。夢の舞台で、何万人ってお客さんが来て、たくさんのスタッフが動いてるんだから。私一人が背負ってる何万倍、何億倍ものプレッシャーや責任を担っていたわけだから。ナゴヤドームに立ってくれて、本当にありがとう。10人のドーム公演を見せてくれてありがとう。一生忘れません。

 

この約1年間、俊くんもメンバーもたくさん話し合ったはずだ。またボイメンに戻れるように、あえてボイメンから離れていたのかな。中途半端には出来ない性格だから、全部シャットダウンしなければいけなかったのかな。ボイメン愛は誰よりも強かった俊くんが、ボイメンに居ることで病んでしまう。歯がゆかっただろうな。病気の公表も勇気が必要だったんじゃないかな。憶測でしか分からない。悔しくて、悲しくて、絶対に無理でも、こういう意見が彼を苦しめるかもしれないと頭では分かっていても、10人が好きで、初めて生で見たボイメンは10人の船に乗っていて、「なんで?どうして?」って言っていたのは寂しかったからで、何も知らずに憶測で物を言っていた自分に腹が立って、もうぐちゃぐちゃです。きっとこの1年、メンバーもファンもそれぞれに様々な思いがあったし、これからも勝負は続く。9人になってしまったけど、私は応援して行きます。町おこしお兄さんだから、全国をハードスケジュールで駆け回ってるけど、身体のケアはもちろん、メンタルのケアもしてもらいたいです。

 

俊くんが売れて欲しいとか、またボイメンと共演して欲しいって気持ちは今はまだなくて。ちゃんとご飯を食べて、寝て、生きがいを持って、治療が上手く行くことを願っています。俊くんにとってボイメンだった日々が、幸せに思えたらいいなって。オタクはいつだって勝手だけど。病気が治って元気になったら、その時にはボイメンと交わることがあれば嬉しいです。まずは体調を優先させて欲しい。好きなことをやってください。元気な俊くんに会えるのをいつまでも待っています。

 

長くなってしまいました。田中推しでもないのに、偉そうにすみません。感情に任せて書いたので、恥ずかしくなったら消します。10人が好きでした、大好きでした。私の人生を変えてくれた10人でした。ボイメンを引っ張ってくれてありがとう。出会ってくれてありがとう。お疲れ様でした。

 

 

「BOYS AND MEN シルバー、田中俊介です」

 

\\しゅんさ〜ん!!//